ようやく新しい生活に慣れて来たかな、というところです。少し時間が出来るとびおらを奏きます。もう少し時間があると絵やブログに回せるのですけど・・・なんとかならんかなぁ。  by 村尾 素

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びおらのCD
踊る阿呆に見る阿呆
テレビを見なくなってもう5、6年になる。はじめのころはそれでも、ぜひ見たい番組のビデオは撮ったりしていたのだが、いちいち番組表をチェックして録画をセットするのが面倒になり、そうするうちにビデオが故障したりして、それすらも止めてしまった。今では、ほんのときおりインターネットで番組表を見て、思い出したように、時によると何ヶ月も先だったりする番組の録画予約をひとつするかしないか程度だから、もうほとんど見ていないといってよいと思う。

それで今まで何の不都合もなかったので何とも思っていなかったせいか、ついこの前、「どうして見ないの?」と不思議がられたとき咄嗟に返答につまってしまった。

考えてみると、余暇の過ごし方として、「テレビを見る/見ない」を選ぶのは例えば「プロ野球を見る/見ない」とは違っており、むしろ「クラシック音楽を聴く/聴かない」というのと似ているのかもしれない。むろん、クラシック音楽の場合は聴く方が不思議がられるわけで、つまりは多数/少数ということ、テレビを見ないのは少数側なので珍しがられた、と推測したまではいいけれど、そうだ、見ないのはなぜだろうとあらためて考える。

今は忙しくて論外としても、以前もっと時間のあるときも見ていなかったのはおそらく、結局「他にすることがあったから」に尽きるように思う。していたのは主に、PCの勉強、ブログ、絵を描くこと、びおらの練習、裁縫、読書等。自分はどうやら何かをしたり作ったりしているのが好きらしい。今日もテレビはまったく見ないまま、このブログを書いている。

実際、音楽もただ聴いているのも好きだけれどびおらを奏いている方がもっと好きだ。自分が伝えたいものがあって、そのためにいろいろ工夫したり練習を重ねたりするのは、ひとの披露を傍観させてもらうのとはまったく別種で、ひときわ面白く楽しいことだと思う。

ひょっとしたらそういうひとはたくさんいるのかもしれない、と思う。だって、「同じ阿呆なら踊らにゃ損」と言うではないか。

昨今「試聴者参加型双方向番組」なんていうのがあるのも、そこを狙ってのことに違いない。でも、あれは、参加といっても実際は、マジックショーか何かで選ばれた観客がトランプを一枚ひかせてもらうのと同じで、サクラみたいなものだから、工夫の余地なんか無くて、逆に、番組の出来が思ったようではないものなら、片棒担いだようでひどく具合が悪そうだなぁ、などとこれは余計なお世話でした。(笑)
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# by muraom | 2005-05-30 00:48 | みちくさ

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