ようやく新しい生活に慣れて来たかな、というところです。少し時間が出来るとびおらを奏きます。もう少し時間があると絵やブログに回せるのですけど・・・なんとかならんかなぁ。  by 村尾 素

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びおらのCD
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そっと
フィリピンの旧日本兵のこと、大勢の報道関係者が手ぶらで帰る羽目になって、ちょっと安心した。うっかり現れようものならテレビや何かの餌食になってしまいそうで、大使館のひとが彼らのプライバシーを守るべく努力してくれるのかなどうかなと内心危ぶんでいたのだ。

しかし同時に、もしどこかに暮らして、郷里の土を踏みたいと望んでおられるのなら、誰にも何にも煩わされることなく、どうかそっとその願いが叶うように、とも思う。

報道の自由やら知る権利やら難しいことは知らない、自分がされて嫌なことを、ひとがされるのは見たくない。
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by muraom | 2005-05-31 22:57 | みちくさ
慣れ
勤めに行く日は朝5時半に起きる。以前の夜更かしの自分には、考えもつかなかったような時刻だ。

最初はつらかった。「起きそこなったら大変」と思っているから、気が休まらない。何度も目が覚めてしまう。気が張っているからなんとか日中しのいでいるようなものの、三日も続くとやはり持たない。

ところがうまくしたもので、そのころになると身体が慣れて来るのか、夜ぐっすり寝て、朝ちゃんと起きられるようになる。まことに習慣とは有難いものだ。



きのうのテレビの話も、見ない習慣ができているのだろうと思う。「見る習慣」というものが存在するのと同じように、「見ない習慣」というものがあって何の不思議もない。

ことはテレビに限らず、食べ物、着る物にせよ洗面や入浴にせよ、生活というものは何によらず習慣に支配されている部分が大きい。それだからこそ、毎日を当たり前のように過ごしていけるのだろう。何でもいちいち考えなくては出来なかったら、何もかもオオゴトになってしまう。

しかしだからこそ、逆に、ときには自分の習慣を眺めてみるのもいいのではないかと思う。それは自分の暮らしを眺め直すことにもなるだろう。当たり前のようにしていることが、ほんとうに当たり前のことなのか、そういうことを考えてみるのは決して無駄にはならないはずだと思う。

流れていってしまう日々の生活の、ほんのささやかな模様替えをする。習慣を変えるのは大変だけれど、三日もあれば大抵のことはだいじょうぶ。あるいは、考えた末まったく何も変わらなかったしても、それで、なんとなく納得して気分よく暮らしていけるような気がします。何より元手要らずです。
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by muraom | 2005-05-30 22:49 | みちくさ
踊る阿呆に見る阿呆
テレビを見なくなってもう5、6年になる。はじめのころはそれでも、ぜひ見たい番組のビデオは撮ったりしていたのだが、いちいち番組表をチェックして録画をセットするのが面倒になり、そうするうちにビデオが故障したりして、それすらも止めてしまった。今では、ほんのときおりインターネットで番組表を見て、思い出したように、時によると何ヶ月も先だったりする番組の録画予約をひとつするかしないか程度だから、もうほとんど見ていないといってよいと思う。

それで今まで何の不都合もなかったので何とも思っていなかったせいか、ついこの前、「どうして見ないの?」と不思議がられたとき咄嗟に返答につまってしまった。

考えてみると、余暇の過ごし方として、「テレビを見る/見ない」を選ぶのは例えば「プロ野球を見る/見ない」とは違っており、むしろ「クラシック音楽を聴く/聴かない」というのと似ているのかもしれない。むろん、クラシック音楽の場合は聴く方が不思議がられるわけで、つまりは多数/少数ということ、テレビを見ないのは少数側なので珍しがられた、と推測したまではいいけれど、そうだ、見ないのはなぜだろうとあらためて考える。

今は忙しくて論外としても、以前もっと時間のあるときも見ていなかったのはおそらく、結局「他にすることがあったから」に尽きるように思う。していたのは主に、PCの勉強、ブログ、絵を描くこと、びおらの練習、裁縫、読書等。自分はどうやら何かをしたり作ったりしているのが好きらしい。今日もテレビはまったく見ないまま、このブログを書いている。

実際、音楽もただ聴いているのも好きだけれどびおらを奏いている方がもっと好きだ。自分が伝えたいものがあって、そのためにいろいろ工夫したり練習を重ねたりするのは、ひとの披露を傍観させてもらうのとはまったく別種で、ひときわ面白く楽しいことだと思う。

ひょっとしたらそういうひとはたくさんいるのかもしれない、と思う。だって、「同じ阿呆なら踊らにゃ損」と言うではないか。

昨今「試聴者参加型双方向番組」なんていうのがあるのも、そこを狙ってのことに違いない。でも、あれは、参加といっても実際は、マジックショーか何かで選ばれた観客がトランプを一枚ひかせてもらうのと同じで、サクラみたいなものだから、工夫の余地なんか無くて、逆に、番組の出来が思ったようではないものなら、片棒担いだようでひどく具合が悪そうだなぁ、などとこれは余計なお世話でした。(笑)
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by muraom | 2005-05-30 00:48 | みちくさ
少し落ち着いたので
ひさしぶりの更新。画面上はなんのことはない、上下の絵を入れ替えて模様替えしただけですが、いくらかは気分一新です。

ブログについては、自分としては細々とでも出来るだけ続けていきたい、それにはどうしたらいいか、いろいろ考えました。

まず、ブログを書くためにPCを起こす、そのついでに知っているところに寄らせてもらうことはするけれど、そこからブログサーフィンするのは止める。

それから、ブログを書くのは、書きたいことがあるときに止め、「ブログを続けるために書く」ことはしない。

この二つを守れば、限られた時間でも続けていけそうです。



びおらの歩みがあまりに遅く、それだけではブログの内容が乏しくなりそうなので、それ以外のことが記事になって来ると思います。
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by muraom | 2005-05-29 20:14
さっぱり
14日は、人前で奏くといっても公開の演奏会ではなく、仲間うちうちのコンサートだったのでした。とはいえひとさまに聴いてもらっているわけですから、自分の気持ちでは本番にかわりありません。

出来は一言で言って「サッパリ」だった気がします。実力相応、と書いてしまうと何やら捨て鉢のようにも聞こえますけれど、練習のとき、「こういうふうになったらまずいなぁ」と思っていたことがすべて出てしまいました。(「すべてを出し切りました」って、普通はすごく良い意味なのだけど。)

自分なりに次回の課題と思ったのは、どんな場合でも遅くとも演奏の1時間前には到着していることと、テンポを守って奏く、の二つ。

ウォームアップ無しで奏いたのははじめてで、奏いていてとにかくしんどかったです。そしてテンポ。いつも独りで奏いているので、実際、練習のときから一番気がかりだったのですが、やっぱり不安的中。もっともっと注意を払っておかなくてはなりませんでした。

先生に指導してもらうのもいいのですけれど、自分で身にしみて分るというのはまた別格です。忘れたくてもなかなか忘れませんから。そういう意味ではほんとうに有難い勉強をさせてもらった一日でした。

それでその日は良かったのですが、土日の片方をすっかり遊んでしまったので、あくる日の日曜日はまた違った大変な日になったのでした。実際、用事が山ほどあって、どこから手をつけたらいいんだろう・・・と朝ついぼーっとしていたら牛乳瓶を割ってしまい、朝ごはんもそこそこに後片付け。自業自得とはいえ、ぐすん。

そのあとは、洗濯、掃除(トイレと外回りも)、靴みがき、草むしり、それから手洗いでなくてはいけないものを洗い、よれよれになったパンジーを抜いて(半年以上も咲き続けてくれてご苦労さん)、回収に回す段ボールを束ね、本箱の整理(なかなか本が捨てられない。さぞすっきりするでしょうに。)その間も、にわか雨が降ったりするので洗濯物を入れたり出したり、電話三回に宅配二回(平日いないので土日に多し)。どたばたどたばたしていたら、あれっもうびおら奏く時間が無いや。。。(泣)

ちょっと追いまくられ気味だったけれど、良い週末でした。
びおらは明日必ず奏きます。
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by muraom | 2005-05-15 22:26 | びおらのおと
本番まであと・・・
平日はほとんど奏けないとすると、この週末が勝負。
と思っていたのに、掃除・・・やら、寒いなぁ・・・やらで、
結局一日だらだらと過ごしてしまいました。
猛省。

それでも、奏くことはいくらか奏いたのだけれど、スピッカートが。。。
一音一音、きれいに、粒をそろえて、
しかもリズムを守って正確に奏くのって難しいです。

モーツァルトのヴィオラパートは、こういう刻みが多い。だから
この機会によくさらっておけば、先々きっと役に立つ、と思います。

明日また奏いてみよう。
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by muraom | 2005-05-08 00:09 | びおらのおと
Lesson op.50
久しぶりのレッスン。そして久しぶりのエントリです。
勤め始めてから、毎日の練習時間は格段に少なくなり、ときには一日二日空いてしまうこともありましたから、出来がとても心配でした。それだけに、「だいじょうぶ。ヘタになっていないですよ♪」と言ってもらえて、とにかく安心しました。

続けていてもそう易々と上達するものではないのに、止めると途端に落ちて行くばかり。ヴィオラに限らず、大抵のものはそうなのかもしれないけれど。ふと、そういえばシジフォスがしていたことと似ているかもしれん、と思いました。ただ、彼のそれは罰だったのに比べ、こちらは嬉々としてやっているのだから世話は無いなぁ。

「30分ずつでもいいから、できるだけ毎日、ね」と励ましてくださった先生。頑張ります。できるだけ。(泣)

今日は、サルタートのレッスンの一環として、右手の中指と親指だけ使って奏くというのをしました。二本の指だけでちゃんと鳴らさなくてはいけないのですが、これがなかなかつらい。腕の上側の筋肉がつりそうになります。その後弓を小指で押し出したり支えたりの練習。これもけっこう大変。普段手や腕はよく使っているようで(右利きです)実は案外使えていないところがたくさんあるんだなぁと実感しました。

それから、14日に奏くかもしれない「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を。
あまりにも有名なこの曲のケッヘル番号は525。意外に思えるくらい後期の作品で、「ドン・ジョヴァンニ」と同時期にあたります。父レオポルドが体調を崩し、また経済的な悩みもあって、モーツァルトの生活に影が宿りはじめたころ。でもこの音楽はそんなことを微塵も感じさせず、自由で伸びやかで楽しげです。

でもそれは、そういうふうに奏いてこその話で。

最初の2小節をみっちり教えてもらいました。弓の使いどころ、力の入れ方、抜き方、弓の返し方、などなど。それから中間を少し。そしておしまいをびしっと。

つくづく、楽譜通りに奏かなくてはいけないのだけど、楽譜通りに奏くだけでは音楽にならないのだなぁと。そして、最初と最後が肝心ということも。

ともあれ、あとは練習あるのみです。
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by muraom | 2005-05-05 23:13 | びおらのおと

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