ようやく新しい生活に慣れて来たかな、というところです。少し時間が出来るとびおらを奏きます。もう少し時間があると絵やブログに回せるのですけど・・・なんとかならんかなぁ。  by 村尾 素

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びおらのCD
カテゴリ:音楽雑記( 40 )
たかが されど
ストラディヴァリウス14億円かぁ。また一段と遠い存在になっちゃったなぁ。。。

などとおバカなことを言っておりますへっぽこびおら奏きですが、実のところ、ストラディヴァリウスばかりがヴァイオリンじゃあるまいしと対岸の火事をよそおっていながらも、今回のように話題になるたび、楽しませてもらっています。やっぱり名前からしてそれらしいもの。グァルネリ・デル・ジュスは名前で損してるかも、なんて思います。

ただ一番の心配は、何の運命の巡り合わせか、お金はうなるほど持っているけれどしかし音楽にはまるで疎い誰かさんの手に落ちて、後生大事にどこかの銀行の貸し金庫か博物館の展示室あたりに缶詰にされてしまうこと。演奏されてみんなに聴かれてこその楽器なのに、ということともうひとつ、死んだ空気の中では楽器が窒息して楽器生命が絶たれてしまう・・・きちんきちんと手入れされ奏かれてこそ、楽器はみずみずしい音を保ち続けることができる、とこれはどこかで読んだ受け売りです。

ところで、ふと、ストラディヴァリウスのヴィオラってあったっけと思ったのです。

調べてみたら、mostly classic に記載がありました。かなり下の方ですが・・・

   最も少ないヴィオラは10挺ていどしかなく、チェロも7、80くらいしかない。
   特にヴィオラがネックとなってクヮルテットで揃うものは世界に6セットしか
   現存しない。

ほーらここでも稀少品。(笑)ストラディヴァリウスのヴィオラは例えばグヮルネリウスのそれと比べてどうかは知らないけれど、ほんとうにどこでも少ないのは変わりないなぁ。あっ、でも、びおら奏きも稀少なんだから、需要供給のバランスは取れてるわけですね。

参考ページ ヴァイオリンの銘器と演奏者リスト
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by muraom | 2005-03-02 22:09 | 音楽雑記
おかしな本におかしな音楽 (3月2日追記)
前に借りた本を借り直しに、図書館へ行ってきました。二週間もあれば700ページは本来楽勝。のはずが、旅行先で何かと忙しく、じっくり読むヒマが無かったのが大誤算。三度の食事ごとに、いちいちどこかに食べに行かなくてはならないのは、非常に面倒だと思い知ったのでした。

だいたい1/4ほど読み終えたところです。でも、そこまで来たのに、面白いのかそうでないのかさっぱり分りません。謎は仕掛けられているのですが、ぜんぜんゾクゾクさせてくれないし、たくさん出て来る登場人物はてんで勝手なことを言ったりしたりしていて、どうもとりとめの無い感じ。それでもつい引き込まれてしまうのは、やはり主人公がヴィオラ弾きだからでしょうか。そういえばこの主人公、今のところ周りに振り回されっぱなしです。(それでこそヴィオラ弾き!?) この後どうなるのかな。不思議な魅力のある本です。

この本のおかげで、Peter Maxwell Davies という作曲家の存在を知りました。Googleで見つけたHPへ行ってみたら幸い、本に書いてあった曲「狂える王のための八つの歌」の一部が試聴できるので、さっそく・・・。

わぁ!びっくりした!っていうか、こっちが狂うかと思っちゃった。ヘンなの!(笑)
どらどら、という勇ましい方は、どうぞこちらへ。
video sample と、もう少し下の方にsound sampleがあります。
出世作だ、と書いてありますけれど、どうか音量はぐっと控え目な方が。(汗)

でもね、ちょっと調べてみたら、村治香織さんのCDにも彼の作品がおさめられているのです。Farewell to Stromness(ピアノ演奏版) こちらはうって変わって、とても静かな曲です。


3月2日追記
「村治香織さんのCD」は、2004年7月発売の「トランスフォーメーション」です。「Farewell...」は聴けませんけれど、ほかのいくつかの曲を聴くことができます。
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by muraom | 2005-03-01 22:20 | 音楽雑記
コンサートのマナー
演奏会に行ってきました。アマチュアオーケストラの名曲コンサート、日曜日の昼下がり、好天にも恵まれて、小さいお子さん連れも多く、アットホームな雰囲気のなかひさしぶりの生音楽を(自分のやっているのは音楽未満なので)満喫して来ました。

実は途中二回席を変わりました。最初、1階席に一旦座ったのですが、通路を挟んで斜め前方にあとからやって来た男の人の貧乏ゆすりを見て、即、後方へ退散。自分の落ち着ける場所を確保できるのって素敵です。

おかげで、その席でもそれから後半移動した2階の席でも、誰にも邪魔されることなく音楽に浸れて、とても幸せな時間を過ごすことができました。

さて、演奏会でのマナーは二つしかないと思っています。ひとつは、音楽を愉しむこと。もうひとつは、ひとが愉しむ邪魔をしないこと。考えてみれば、演奏会に限らず、スポーツ観戦でも、美術鑑賞でも、何でもそうです。

しかしその上に実は、もっとも根源的なマナーがあるのです。それは、「相手の気持ちに配慮し、その場にもっともふさわしい振る舞いをする」というものです。はるか昔、フィンガーボウルの水を飲んだ人の話を引き合いに、教えられたことです。すべてのマナーはこれに帰結すると言ってよいでしょう。ただ実践が大変難しい。難しいので、いろいろ細かいルールを作って(言ってみればマニュアルですね)それを守っていればひとまず安心、ということにしているわけかなと思います。

拍手が時宜にかなっているかどうか、これはその場に立ってみないとなんとも分らないことでしょう。ファミリーコンサートはおおむね、みんなが寛容な気分になっているものです。乗りが多少過ぎても、大目に見てもらえそう。でも、現実にそういう雰囲気かどうかは、名称だけではそうとは言い切れないのです。

一方、格式の高いコンサートでソリストが演奏したカデンツァが大変感動的で、感極まったひとが押さえきれず心からの拍手を送ったとしたら・・・自分だったらそのことに心を動かされこそすれ、咎める気にはならないでしょう。奏く側であったとしてもそう、というか、そういう心の有りようでいたい、と思います。なぜなら、マナー破りを懲らしめたり思い知らせたりすることはそのこと自体マナー違反であり、マナー破りをも受け入れることこそがマナーに適い、また音楽の場にもふさわしかろうからです。とげとげした気持ちになりたくないのです。楽章間の拍手で興が削がれる、というのは自分にはありません。

ただ、何事も程度問題。目に余る行為には、冷たい沈黙をもって報いてしかるべき、かな?しかるにその線引きはどこに。ここ、と明示できないデリケートな問題の場合はまず、そこがグレイゾーンだという共通認識が必要、ということになるでしょうか。

そういえば、拍手の方にもいろいろで、ひどく気の抜けたような、しない方がましのような拍手もあるわけで・・・と、これは別の話です。
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by muraom | 2005-02-27 23:49 | 音楽雑記
宝物がひとつ増えました
b0014893_1635277.jpg愛してやまない「サロメ」。
とうとうスコアを買ってしまいました。
Fürstner版です。(絵をクリックすると拡大します。)

いままでスコアというとミニスコアしか知らなかったので、B5よりもひと回り大きいこのスコアは手にずしりと来て、いかにも「スコア」という感じがします。

実物を見ずに取り寄せて、手に取った瞬間、大のお気に入りのビアズリーの表紙を見て思わず心の中で「うむ、これでなくては」と呟いたのでした。(笑)

実はDoverという安価な版もあること、注文してから知りました。三倍ほどもの価格差です。それでも、大好きな作品のせいか、それほど口惜しくありません。(笑)実際にはカードで貯めたポイントの値引き分、少し安くすみました。しかしどうも楽譜の値段って分りづらいです。版権とかいろいろあるのでしょうけれど。

さて中を開いて、まず目に止まったのはその編成。
書き出してみます。長くなります。
ピッコロ                 ホルン ×6
フルート ×3             トランペット ×4
オーボエ ×2             トロンボーン ×4
イングリッシュホルン         バステューバ
ヘッケルフォン           
クラリネット E♭
クラリネット B♭×2
クラリネット A
バスクラリネット B♭
ファゴット ×3
コントラファゴット

ティンパニ
小ティンパニ
パーカッション 6-7
  グロッケンシュピール、タムタム、シンバル、バスドラム、
  サイドドラム、タンバリン、トライアングル、シロフォン、カスタネット

ハープ ×2
セレスタ

1st ヴァイオリン ×16
2nd ヴァイオリン ×16
ヴィオラ ×10-12
チェロ ×10
コントラバス ×8

ステージバンド
  ハルモニウム、オルガン

こういうのは何管編成っていうのかな。クラリネットが4人に、ホルンが6人・・・すし詰めに並んでいる光景が思わず目に浮かんで、独りにやにや。そういえば近~現代の作品にはこういった大編成のもの、けっこう見かけます。楽器がとりどりなのも。アマチュアオーケストラには、人数・楽器を揃えることといい、広いステージを用意することといい、いかにもつらそうです。

それにしても・・・
「ヴィオラ ×10-12」って?どうして人数にハバがあるの?

パーカッションは、ちょっと大変だけど6人でもできまっせ、という意味に違いないので納得できるし、弦の場合、往々にして幅があるのも知っているけれど、それでも、どうしてヴィオラだけなんだろ。まるで「いてもいなくてもどうでもよろし。テキトウにやってぇな。」と言われているようで、ぜんぜん納得できないぞ!

と、のっけからちと憤慨したところで、肝心のスコアについてはまたそのうち。
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by muraom | 2005-02-23 16:34 | 音楽雑記
神奈川フィルのコンマス
神奈川フィルのソロコンサートマスター石田泰尚さんをフィーチャーしたビデオクリップを見ています。

一般に弦楽器は、左手が音程、音を作るのは右手と色分けして言われますが、先生は、音作りには実は両手とも関係しているのよ、とおっしゃいます。弦の押さえ方、力の入れ加減、タイミング・・・すべてが音作りに関わっているのですね。

このクリップを見ていて一番印象的だったのは、それでもやはり、弓の動きでした。(上手になるともっといろいろなことが見えるのでしょうけれど。。。)

どんなに激しい動きをしているときでも、最も良い場所、角度、速度、弓圧、その他もろもろ、すべてがたいへんな精度でぴたりと「決まって」いること。それはたぶんあれほどのひとなら当たり前のことなのでしょうけれど、それが石田さんの場合、ごく柔らかく見えるのです。フィットしている、という感じ・・・楽器に弓が寄り添っていく、ような。

地元なのにぜんぜん知りませんでした。演奏会場までちょっと遠いですけれど(往復3時間かかります。地元なのに!)機会があったら、ぜひ一度聴きに行きたいです。
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by muraom | 2005-02-13 23:18 | 音楽雑記
伝説は伝説のままに
そういえば、前の記事で紹介したジュラシックさんのページには、映画「アマデウス」の一シーンの検証があってとても興味深く読ませてもらいました。床に伏せっているモーツァルトが、サリエリにレクイエムの一部"Confutatis"を口述筆記させる、とても印象的な迫真のシーンなのですが、それが現実にはあり得ないまったくの脚色であることが、楽譜からわかる、というものです。

映画なんてしょせん作り物だから・・・と言ってしまっては元も子もありませんけれど、実際にいたひとあったことを元にした作品は、いかにもそれらしく作ってあると、観方がちょっと悩ましいことがありますね。大河ドラマなどもそうかな。

自分はもともと映画はあまり観ない方なのですが、音楽にひかれて「アマデウス」は観ました。冒頭のドラマチックなシーンとそれに見事にぴったりの選曲、確か交響曲第25番K183でしたか、あれでぐっと引き込まれました。おかげでモーツァルトが英語でしゃべっていてヘンなのと思いつつもガマンしていましたが、コンスタンツェが「ヴォルフィー」なんて呼ぶので、とうとうどうにも居心地が悪くなった記憶があります。結局のところ、分っていながら映画は映画としてその世界に浸りきる、というのがニガテなようです。

とはいえ"Confutatis"のシーンは、作曲家の頭の中はどうなっているのか、音楽が産み出されるその瞬間にはとても興味を惹かれて・・・(ジュラシックさんも書いておられる通り)そんなところにサリエリがいること自体がおかしいので、なんだかなぁと思ってはいたのですが、頭の半分で嘘だとわかっていても、あとの半分ではつい本気で観ていました。

そういえば別のシーンですが、コンスタンツェが持って来た楽譜を見たサリエリが、一点の修正も無いので驚愕する、という場面もありました。実際に残っている楽譜がそういうものばかりなので、モーツァルトは頭に浮かぶまま書いてそれがそのまま完璧な音楽だった大天才と本当に思われていたのですが、近年、下書きが発見されて伝説が覆ったようなことを聞きました。やっぱりと思う一方で、伝説は伝説のままでも良かったのになとちょっと残念にも思います。モーツァルトが麗とした神童だったにしろスカトロの悪ガキだったにしろ、どちらにしても、音楽の素晴らしさは変わらないので・・・。
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by muraom | 2005-02-10 10:48 | 音楽雑記
そんな曲があったとは
少し古いですが、チャイコフスキーの未完の交響曲が補作され、秋までに初演されるというニュースがありました。遺されたものがそうして形を得て世に出るのはとても貴重なことで、作品としてどうかということとは別に、一度聴いてみたいなと思います。>>yahooニュース

補作というとまず思い浮かぶのはモーツァルトのレクイエム。モーツァルトの死後、ジェスマイヤーが主になって仕上げたものの悪評ふんぷん。その後もいろいろなひとが手がけながら、決定版というのはまだ無いようです。(そのあたりのことは、ジュラシックさんのページに大変詳しく書かれています。かなり専門的な部分もありますけれど、とても面白いです。興味をお持ちの方はぜひ。)

といって、補作されたものが不出来かというと、そうでもなくて、ただモーツァルトのオリジナルとの彼我の差が埋めようもないだけ。チャレンジした方々もそのへんは承知の上だったでしょうね。それでもやってみたくなるのはモーツァルトの音楽のあまりに素晴らしさに魅かれてに違いなく、補作であってもこれほどたびたび演奏され、愛聴されるのもやはり、その音楽の力なのだなと思うわけです。

今回のチャイコフスキーの交響曲はどんなふうなのでしょう。ちょっと楽しみです。
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by muraom | 2005-02-10 09:06 | 音楽雑記
音色もいろいろ
今日のびおらのCDは、きのうのと同じレーベル、おまけに何曲かが被っていて、びおらの曲ってそんなに少ないのか!と驚いてしまいます。実際には、避けようと思えば避けられると思うのですが、演奏時間や全体の構成などの具合でそうなってしまうのかもしれません。選択肢がヴァイオリンに比べて極端に少ないのは事実ですから。

聴く方にしてみれば逆に、いろいろな演奏家の聴き比べができるという楽しみがあるといえるのではないでしょうか。きのうと今日で被っているのは、TelemannのコンツェルトとHindemithのTrauermusikです。(面白いことにこの二人の作曲家はちょうど200年ほどの年代差があります。)

今日のCDの奏者は、Hertmut Rohdeというひとです。きのうのMoogさんの次の世代にあたるでしょうか。ライナーノートには、Kim KashkashianさんやPinchas Zukermanさん、Gérard Causséさんといった、今をときめくヴィオリストたちと一緒に学んだと書いてあります。たくさんのコンクールで入賞歴があり、室内楽などたくさんのCDのレコーディングを精力的に行っている方です。

Rohdeさんのヴィオラは、驚くほど軽快。軽快なんて言ってはいけないかしらん、ヴィオラのくせに?(笑) 自分の先生はときどき、「ヴァイオリンみたいなヴィオラ」という言い方をなさるけれど、まさにそういった感じのヴィオラです。とても機敏で繊細です。音色についても、Moogさんのヴィオラには渋い、グレイッシュなトーンを感じ、おそらくこちらが一般的なヴィオラのイメージに近いと思うのですが、一方のRhodeさんのはもっと明瞭な色彩です。

Telemannの音楽は、素敵に朗らかで明るく元気。Rhodeさんのヴィオラにぴったり合っているように思います。対するHindemithは、自分はやはりMoogさんのヴィオラ、とても強くこちらに訴えかけてくるものに惹かれます。これからもっともっといろんな方の演奏を聴いてみたいです。

(Viola Concertos/Hertmut Rohde/1999/ARTE NOVA)
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by muraom | 2005-02-07 23:16 | 音楽雑記
ヴィオラの奏でる無言の鎮魂歌
びおらを始めなければたぶん、ヒンデミットは自分にとって遠い作曲家のままだったでしょう。びおらを学んで、びおらのことをもっとよく知りたくてCDを聴くようになって、その中の一枚に収められていた曲「Trauermusik」で自分はヒンデミットと出会いました。

「Trauermusik」は「葬送音楽」と訳されるようです。1936年1月21日の英王ジョージⅤ世の崩御に際して、当時ロンドンにいた作曲家によって作られました。短い四つの楽章から成り立ち、独奏ヴィオラと弦楽オーケストラという編成で演奏されるこの曲は、以来ヴィオラの主要なレパートリーのひとつです。

独奏ヴィオラと弦楽オーケストラという組み合わせからヴィオラ協奏曲がイメージされますけれど、これはちょっと違うように思います。協奏曲は独奏者のヴィルトゥオージティ・・・名人芸が中心になっているようなところがあるのですが、この曲の場合、オーケストラの奏でる情景のなかから、独奏ヴィオラの旋律が立ちのぼって来るような感じです。あたかも歌を歌っているように。

ヴィオラの音域がひとの声域と似通っているため、殊にそういう印象を強く受けるのかもしれません。でも、このCDのMoogさんのヴィオラはほんとうに、詩の無い歌を歌っているよう。まっすぐで豊かで強く、それでいて悲哀に満ちていて品格が高い、大好きなヴィオラです。

Rainer Moogさんは、ベルリンフィルのSolo-Bratschistを務めた方です。このCDには他にTelemann と Hummel の古典的なレパートリーも入っていますけれど、むしろ自分はこのHindemithとPartos、Schnittkeの現代曲の方が気に入っています。

(Music for Viola and Orchestra Vol.1/Rainer Moog/1996/ARTE NOVA)
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by muraom | 2005-02-07 00:56 | 音楽雑記
性懲りもなく (2月4日追記)
注文していたCD二枚、両方とも廃盤という知らせが入ってちょっとがっかりしています。

CDは、おいそれと演奏会に行けない身にとって、身近に音楽世界を感じることができるとても有難い手段です。できればもっともっと枚数欲しいな・・・資金とスペースと時間にもっと余裕があれば。

最近はCDの価格が以前と比べるとずいぶん下がりました。廉価レーベルや廉価盤の種類も豊富になって、いろいろ選べてとてもうれしい反面、何をどう選ぶかが難しい。特に、自分の耳が真に欲しているものを買い求めたいなんて思っている、気概だけは立派な、しかしその肝心の耳がどうもギモンなので、どう見ても「自分では筋が通っていると思い上がっているが実は単に気まぐれなだけ」な愛好家、あとで悔やんだCDの数知れず。

そういうのが勉強なんだよ、とはよく聞くセリフです。何にでも投資は必要。身銭を切らなくちゃ身につかない。そういう意味では、自分もちっとはお利巧さんになりました。一番身にしみて分ったのは、「CDを出すからにはみんな上手い、などと思ったら大間違い」ということです。おかげで今では、「全然知らない演奏家だけど、好きな曲だしこのジャケットのセンスなら」という極めて直感的すなわち根拠ゼロの理由で買うことはまったく無くなりました。

(いや、「上手下手」という表現は誤解のモトかも。「訴えかける力」のことを言いたかったのです。そういうのは一体何と言ったらいいのだろう?? 2月4日追記)

ほんとうは、カン頼みで当たりを引き寄せ、「わたしだけが知っている秘盤」っていうのがやってみたかったのかもしれません。その夢が断たれて少し残念。でも結局、資金も時間も限られたなかでどういう音楽生活をおくるかということを、自分なりによく考えてみるきっかけになって、とても良かった。その前後にびおらを始めて、いろいろなことがびおら中心になったけれども、それでも闇雲に一辺倒にならずに済んでいて、それのおかげで続けて来られたとも言えるかなと思っています。

ところで、廃盤だったのは二枚ともびおらのCDです。フランスのヴィオリスト、Causseさんの「Der Schwanendreher」が聴きたかったのですが。。。深追いはしない主義なので、わざわざ中古CD店へ行ってまで探すことはしないつもり。そのうちまた気になるものがあったら注文してみます。廃盤に怖じずに。。。(笑)
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by muraom | 2005-02-03 23:29 | 音楽雑記

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